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教員から他のお仕事を挟んで、エンジニアになるまでの経緯と理由

本ページでは、教員というキャリアからイベント業界のお仕事を経てエンジニアになった背景を説明します。雑談や面接などでよく聞かれるので、こちらにまとめてみました。
 
ややポエミーです。
 

結 論

 
先に結論を書くと、主に以上の3点です。
 
  • 教員は「学びたい、頑張りたいと思うだけ人に勉強を教えたかったため」辞めました
 
  • イベント業のお仕事は「本当にずっと無理なく続けられる、スキルが積み上がって説明できる仕事を見つけるため」辞めました
 
  • Webエンジニアには自分の生きがいである「力をつけ続けること」「つけた力を活かしてがんばる人を応援することを叶えられるため」なりました
 
では、詳しく読んでくださる方はよろしくお願いします。
 

私 の 簡 単 な 経 歴

 
私は横浜国立大学の教育学部を卒業後、高等学校の国語科教員になりました。
 
1年間勤務したのち、次はイベント企業で営業やマーケティング職など幅広く経験しました。
 
その後、独学とプログラミングスクールでの学習を経て、WEBエンジニアに落ち着きました。WEBエンジニアがキャリアとしては一番長くなっております。
 

大 学 生 か ら 教 員

 
学校の教員には大学で学んだことを活かしたい、人に何かを教えることがしたいと思い教員になりました。他の友人で一般企業に行く者も多かったのですが、今振り返ってみると自分の場合「それじゃあ4年間なんの意味があったんだろう?」と感じるのが怖くて、教育業界や教員にならなければならないという気持ちが強かったです。
 
ただ、その中でも何か現状を変えるために意見をしたり、建設的に議論をすることが好きだったので、公立よりも改革がしやすい私立学校の教員を目指すことにしました。塾という選択肢もありましたが、尊敬する大学教員(元教員)をみて、学校の先生になろうと考えていました。
 
社会人として最初のキャリアは私立の高等学校の教員でした。
 
1年生3組の副担任をもち、部活動は競技かるた部の指導を担当しました。普段の授業には大学で学習したアクティブラーニングを取り入れたり、全生徒がiPadを持っている学校だったのでGoogle Classroomを活用して効率よく課題を渡したりするなど工夫を行なっていました。
 
教員としての期間は1年間とはいえ、非常に濃い期間でした。様々な経験をさせていただきましたが、今回は「教員からエンジニアになった理由と経緯」に関係する部分のみ抜粋します。
 
辞める大きな原因になったこととして、授業や生徒指導をしている際に、ある引っ掛かりを感じていました。それは「勉強を自分からしたい生徒と、したくない生徒がいる中で、一律に教えなければならないこと」です。
 
持論ですが教育はボトムアップ的な意味合いが強く、学校の先生は、全ての生徒に平等に学習の機会を与え、生徒の才能を伸ばし、将来の進路へ導く存在だと思っています。
 
しかし、自分が授業をしている中でどうしてもそこに引っ掛かりを感じてしまい、なぜ疑問を持つのか自己分析を重ねました。その結果、今言語化するならば「勉強を頑張りたい生徒だけに教えたかった」という気持ちがあったのだと思います。
 
私は「勉強をやる気のある生徒にだけに教え、その力を最大化させるサポートしたい」ということに気づきました。
 
人に教えたいという漠然とした欲求が、自分の中に頑張る人にだけ教えたいという欲求だと気づいた時に、教員は適さないと思って転職を考えました。
 
誤解していただきたくないことは、やる気を出させてあげることも素晴らしい仕事で、その結果生徒たちの可能性を最大化させてあげることも大切だと思います。ただ、自分がやりたかったこととしては、そもそも頑張ろうと思っている子供たちや人に対して、教えてあげることだったのです。
 
「学びたい、頑張りたいと思うだけ人に勉強を教えたかった」ため、教員としては向いていないと思い辞めました。
 
ただ、ここではまだWebエンジニアという仕事は知らず、また文系である自分にエンジニアという仕事は関係ないと思っていました。この後、一度違うお仕事が間に挟まります。
 

余談

 
最近以下の記事を書きました。
 
当記事は、教員を辞めることを推奨する記事ではなく、自分のように当時悩んでいる人に向けて、今の自分から見た考えをまとめた記事です。
 
私の教員に関する思いや辞めた理由、WEBエンジニアというお仕事に就いて変わった考え方などがまとめてあります。もしよろしければ、合わせてご覧ください。
 

教 員 か ら イ ベ ン ト 業 、 そ し て や め る ま で

 
教員から転職を考えたときに「自分が楽しいと思う仕事をしたい」とぼんやり考えていました。
 
今振り返ってみれば、もっと自己分析をして自分の本質的な欲求と生きがいを考えるべきでしたが、当時の自分はその重要性すらわかっておらず、自分が楽しいと思うものを仕事にすれば楽しくできると考えていました。
 
自分は当時リアル謎解きゲームと呼ばれる、体験型の謎解きイベントが好きでした。これを仕事にすれば好きなことなので長く仕事が続けられるし、自分が働いているって思わずに働くことができるのではないか?と考えていました。
 
その結果、謎解きゲームを扱う会社に入社します。
 
事業プロデュースという幅広い業務を行う部署に配属していただいたのですが、教員で培った人前で話せるという強みと発想力を生かして、最初はイベントの新規営業活動を行いました。あらゆることが新鮮で、頑張った分だけ売り上げや数字につながるので、とても新鮮な感覚だったことを覚えています。テレアポや新規の契約も意外と上手くいき、イベントの導入を行っていきました。
 
しばらく導入を行ったのちは、イベントを導入していただいた施設や既存の施設の売り上げ数時管理・マーケティングを行なっていました。20施設以上を同時に管理していたため、非常に大変だったことを覚えております。現地施策を行ったり、それが上手くいかないときにファンブログやTwitterを作ってみるなどの企画も行い、様々な手段を考えて勤務をしていました。
 
営業、数字管理、マーケティング、広報のような業務、あとはイベントで使う道具の発送管理なんかも行っていく中で、沢山の幅広いスキルや経験は身につくのですが「何かこう、積み上がっていく人に説明できるスキルがないな」と不安になりました。これは今振り返ってみれば、自分の学習不足や、学んだことを具体的に説明できるレベルまで落とせる能力不足も原因だったと思います。
 
一方で、ピーク時は朝の4:00まで働いたり、会社へ泊まることも多くなる中で、そのようなことに時間を割くこともできずにいました。
 
多くの種類の業務を行ったり、全てに手が回らなくなったりしたタイミングで「自分には何か一貫しているものがない」「このまま幅広いことをずっとやり続けて、10年後にどんなスキルがついているか説明できない」と非常に不安になったことを覚えています。
 
そこではじめて、腰を据えて自分のことや将来を考えないといけないなと考えました。もちろん大学の時も、教員から転職をするときも考えていたつもりでしたが、今本当に思うことは「どんな仕事をするか」と業種ややることに縛られるのではなく「自分の生きがいややりがいは何で、それはどういう時に達成されたと感じるか」を考えるべきだったと考えています。
 
そのような経緯や考えがあり2社目は、本当にずっと無理なく続けられる、スキルが積み上がって説明できる仕事を見つけるために辞めました。
 
前職を悪くいうつもりはありません。しっかりとスキルや力をつけていた方もいらっしゃったと思うので、あくまでも自分の状況や自分の当時のパワーでは、それができなかっただけです。
 

余談

 
文字にすると淡々としていますが、当時はお医者さんから軽度の鬱の診断が出されたり、国公立大にも合格して頑張っていた自分が社会に出ると全然上手くいかなかったりすることから、相当やられていたと思います。
 
そんなこともあって、今は一緒に働く人にできるだけ優しくしようと思っています。それもあって行っている活動もあるので、最後に紹介します。
 

自己分析、自分の生きがい、なぜWebエンジニアなのか

 
ただ、次やることを何も決めずに辞めた訳ではないです。
 
背景をお話しすると、当時自分は前職のマーケティングに関して困っていた時に、高校の友人で東京に出ていたM君に相談をしました。
 
マーケティングの相談にも乗ってもらいましたが、久々に近況を聞くと、彼はDMMWEBCAMPという私が通ったプログラミングスクールで過去に教室長、受講希望生の話を聞いてサービスを紹介するカウンセリングのお仕事などを行っていたことがわかりました。
 
そこでエンジニアというお仕事を知り、プログラミングは文系でもできることを知り、プログラミングスクールの実態や良さや難しさを知り...いろんな情報を教えてもらいました。そこから、現役エンジニアの友人を見つけて情報収集するなどして、興味を持ち始めました。
 
M君の「堀越は勉強をやり続けられるから、きっと大丈夫だと思う」「エンジニアは頑張った分だけちゃんと評価される世界」との後押しをもらったのを覚えています。
 
だいぶ割愛しますが、そこでしっかりと時間をかけて自己分析をした結果、自分の生きがいとは「自分の力をつけ続けること」と「つけた力で頑張る人を応援すること」でした。
 
仕事についての捉え方も変わり、以下のような考えを持つに至りました。
 
WEBエンジニアというお仕事につくことができれば、毎日勉強して力がつきますし、プログラミングをこれからの自分のように勉強して何かに活かそうとする人が多いので、「教える」「応援する」ということもできるし、これなら絶対続けられる!という根拠を持った確信がありました。
 
ですから、そこから腰を据えて沢山勉強して、WEBエンジニアを目指しました。
 
まとめとして、Webエンジニアには自分の生きがいである「力をつけ続けること」「つけた力を活かしてがんばる人を応援することを叶えられるため」なりました。
 

余談

 
本当にいろんな人に支えられてこの仕事に就けたので、今はいろんな人との縁や恩を大切にして仕事をしようと思っています。M君のことや今の仕事観をエンジニアになって1年経ったタイミングでまとめてみたので、もしよろしければご覧ください。
 
 
当時の自分の勉強量や、プログラミングスクールに通おうとしている人に伝えたいことはこちら。
 
 

点 と 点 が 線 に な っ て 、 一 貫 し て い る 今

 
なかなか遠回りしたキャリアではありますが、自分なりに悩んで、今となっては辞めた理由やなぜそうなってしまったのかの原因分析もできており、人に説明できる状態となりました。WEBエンジニアも楽しく続けられています。
 
今は、付けた力が全て繋がっている状態です。
 
例えば、国語のスキルを生かしてプログラミング関連の記事を書くお仕事をいただいたり、エンジニア転職を目指す方々の履歴書職務経歴書の文章添削などを行っています。そもそも、自分的にはプログラミングのロジックを考えるときは、国語を扱う時に使っていた論理的思考を使っているように思います。
 
また、前職でつけたTwitterやSEOのスキルも活用してお仕事ができていますし、結構プログラミングとの相性も良いです。大体エンジニアとして勤務していると採用の相談があったりするので、自社の情報発信の際に力を発揮できます。
 
人に教えることは言わずもがな、メンター業務や社内で後輩に教えるときなどに活用できています。
 
今になってから思うことは、教える=学校の先生か塾の先生!と思っていた自分の視野の狭さです。あらゆる経験はあらゆる場所で活かすことができ、どうそのスキルを使うのかが大事だということを身をもって知りました。
 
バラバラになっていたスキルが今は繋がって、エンジニアとして他の人が持たないスキルを持っているという少しの自負もあります。技術力を身につけて、上で述べたように縁や恩を大事にしてこのまま頑張っていこうと思います。
 

補 足 : そ れ ら を 経 て 、 今 行 っ て い る 活 動 な ど

 
これらの経験を経て、今は以下のような活動を行なっています。
 
  • 認定NPO法人育て上げネット様での公演
上記の団体は、様々な理由で就業をしようとしている若者を支援している団体です。自分も前職で結構大変な状態になったので、こうやって頑張る方々を少しでも応援したいと思っています。
 
受講生の皆さんにプログラミングの楽しみや、「なぜそうやって解決するのか」の部分まで伝えたいと思い、例外的にエンジニアメンターをさせていただいております。一受講生の気持ちもわかるエンジニアとして、教えるという経験をさせていただいております。教員とはまた別の形で教えることができ、やり甲斐を感じます。
 
他にもいろいろ...今後はキャリアについて悩む人へのアドバイスや、教育学部生・辛い思いをしている学校の先生方に学校の先生以外のキャリアの可能性を伝えてあげるなど、様々な活動をしていきたいと思っています。